東日本大震災復興支援プロジェクト
東日本大震災支援活動
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<復興支援活動時系列>
2011年3月19日ココナッツはダイビングスクールですけど?!
その日のうちになんとかスタッフと車、男性11名、車5台を確保。災害後、車の燃料を確保するだけでも大変でした。スタッフのネットワークを使い、ガソリンや軽油を手配出来たのが午後になってからでした。その後、倉庫を見つけるのも一苦労で夕方まで見つかりませんでした。何せいろんな事が混乱していた時ですから。 いざ積みこむとなった時も物凄い量で、その量なんと280箱3.6トンにもなりました。途中、信号が消えたり大渋滞やらで家に帰ったのが真夜中でしたが、少しでも被災地で頑張っている方の役立てればそれでよし。 ちょうどスマフォに変えたばかり、マップアプリは大活躍でしたが、途中でバッテリー切れの速さにびっくりした思い出があります。私なんかは休みの日に訳もわからず呼び出されたのですけど!古川
2011年3月21日 日本の危機だ
現地で必要になる物は車ではないかと考えココナッツのマイクロバスを夏まで現地で使ってもらおうと考えました。すぐに現地の消防所や市役所、支援団体各所に連絡を入れて提供先を探しました。石巻の専修大学内に設置されたボランティアセンターで使用することが決まり。 4月から3ヶ月間、軽油を買えるだけ買って積み込み、ココナッツのマイクロバスを被災地での移動手段として提供したのが始まりです
2011年9月7日ー9日 初めての現地入り
東北道は道のウネリや陥没箇所、無数の工事、通行規制、現地へただ行くだけも結構な時間を要しました。
2011年9月この最初の視察の時、何箇所か海に潜りました。潜水士の方の作業の様子を記録したり、サポートを行いました。まずは、テレビなどで放映されていた気仙沼の海に入りました
ここでは、魚群探知機に何か長いものが写っているのでそれが何かを見て欲しいという依頼でした。今、思うとぞっとする体験です。
潜水士の方2名と私はそれほど、身構える事もなく普通に漁師さんが投げ込んだ細いロープを頼りに潜降していきました。けれど、もう一人のスタッフは海の中へ入ると自分の水中ライトがつけられない程、怯え始めました。あとで考えるとそれが普通の反応だったんですね。水面の透明度はわずか40センチ程度、伸ばした自分の手が見えません。普通のダイビングでは、水深5メートルも下へ潜れば透明度が良くまります。そう考えて降りていくと、いつまでたっても見えないばかりか、ライトの光すら顔に近づけないと確認できないほどになりました。
ロープがなければ上下左右の感覚すらありません。水底についたことはわかりましたが、深度計も読めず、何もできないまま浮上するしかありませんでした。あとで思うと、万が一ロープが切れたり、手を離したり何かに絡まったりしていたら、誰にも助けらない状況だったのです。なにせ、海の中がどうなっているのか全くわからない状態ですから。ちなみのこの時の水深を後でダイビングコンピューターで確認すると35メートルでした。
たまに、ダイビングで一番怖い経験はと聞かれることがありますが、普通のダイビングでは本当にないのですが、この時の活動が後にも先にも一番危険な体験でした!気が付いてそう思ったのは、何年も経ってからの話ですけどね。 古川
2011年9月19日ー22日 第1回
こちらで行っている支援活動内容は、港や漁師さんの要望により様々です。養殖用筏の周辺の調査や、再生可能なボートのエンジンや水中で環境破壊につながる恐れのある車やボートのバッテリーの回収、漁具の回収、ボートの運行に障害となるロープの回収と撤去など、様々なニーズがあります。この日の透明度は運よく3~8メートル程あり、かなり良好なコンディションでした。それでも、やはり堆積物が多いため、一度水底に触れるとすぐに視界はなくなってしまいます。
この時のダイビング時間は70分でした。回収しては引き上げるといった繰り返しです。 2回目のダイビングでは、捜索範囲を水深15~20メートルに広げて捜索をスタート。すり鉢状の小さな湾のような港内なので、流されたものがその中心に集まるのではないかと考え、まずは中心付近を目標に向かいました。水深20メートル付近でしばらく捜索を続けると、視界に車が入ってきました。見た目には大きな変形などもなく、原形をとどめた状態で沈んでいました。車内も確認しました。これはさすがに回収できないので、マークを付けておきました。 この日は他にバッテリー、漁協のスクーバタンク、ロープなど再利用可能なもの等々の回収を行ないました。
一日の作業を終え、車に乗り込み帰ろうとすると・・・1日中降り続いた雨と地盤が沈下していたため、マイクロバスを止めておいた下の土が一気に泥沼のようになっていて、前にも後ろにも進むことができない状態になってしまいました。現地での経験不足でした。いろいろやってもダメでした。結局、その日はそのままにしておき、また次の日にチャレンジして、他の方の手を借りながらようやくスタックから脱出することができました。
2011年9月26日ー29日 第2回
あっという間に軽トラ2台分のガレキが集まります。 他に沖合に定置網を設置するために水深35Mの水底に障害物がないかどうかの調査の依頼もありました、ここではサーチアンドリカバリーで使用する円形ロープサーチ法をチョイス、深さもあり、あまり広範囲の調査ができませんでした。
この深さではダイビングコンピューター許される滞在時間は10分程度、少しでも広い範囲の確認がしたかったのでみんなで猛ダッシュで泳ぎました。
2011年10月3日ー6日 第3回
余談ですが、千昌夫さんが子供の頃、この地へ遊びにきていたそうです。子供の頃よく一緒に遊んでいた。と漁師さんがお話してくださいました。
同じ港に車が沈んでいるかもしれないとのことで、捜索作業のダイビングをしました。ナンバープレートのついた車を発見して報告をすると、所有者は財産としての補償が受けられることになるということでした。今回は残念ながら車は見つかりませんでしたが、ガレキは多数見つかりました。水深は8~20mでした。
2011年10月11日ー13日 第4回
この屋根が畳6枚ほどの面積で、引き上げのためにロープをかけるのも大変でした。船上の漁師さん数名で屋根を水底から浮かせている間にロープを回して結び付け、そのままボートで沖合まで引っ張って移動。途中、その大きさのためロープが外れ、もう一度結び直し、なんとか撤去ができました。
海の中には生活用品、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、自動販売機などから漁港の作業場の屋根の様な鉄製のひしゃげた枠組み、車など沈んでいました。7ヶ月経ってもなお水面には油のにおいがありました。
2011年10月17日ー20日 第5回千葉テレビ同行
私達と一緒に海に入る事を条件に千葉テレビのカメラマンも同行が許可されました。
この時はまだ、水中の様子はほとんど報道されていませんでしたので貴重な映像でした。港内のガレキ撤去を行いました。 初めてお手伝いする場所でした。実はここ唐桑半島だけでも、大小合わせると20近い港があり、それぞれ漁を営んでいました。まだまだ、ダイバーが入っていない場所もたくさんあるようです。
集合場所に行くと、そこには20人程の漁師さんたちがすでに集まっていらっしゃいました。挨拶を済ませ、一日の流れを確認して、私たちは2つのバディに分かれ、漁師さんたちの船に乗り込み、それぞれの場所で水底の様子のチェックとガレキ撤去の作業を開始しました。
場所によっては、家の屋根がそのまま残ったような状態で沈んでいるところもあれば、津波の方向のためか小さなガレキだけで比較的きれいな場所もありました。少しずつ、透明度も良くなり、魚も増えてきているような感じがしました。 今回は集中して一ヵ所で作業するというよりも、港の中の広い範囲で確認とガレキ撤去を行なうような感じでした。車一台と、再生できるかもしれない船外機(船のエンジン)を3機、ちょっと大きめの金庫と小さめの金庫なども見つかりました。金庫は警察に報告され、簡単な調書の作成も行なわれました。担当の組合の方に写真を見せていただいたのですが、この地区も震災の時は、気仙沼から様々なものが流れこんできたようです。火のついた船や家などが小さい港の中に流れ込んでいる様子でした。3日間で合計8回のダイビングによる作業をお手伝いさせていただきました。
2011年10月24日ー27日 第6回
今回はスタッフとお客様(潜水士免許保持者以上ランクです)で合計7名にてガレキ撤去作 業ダイビングを行いました。新たに水中で車数台など発見し報告しました。6週間にわたって行なわれた宮城県気仙沼市唐桑半島での支援活動は、10月末で一区切りをつけさせていただくことになりました。
なんだか少し寂しい感じがします。漁師さんたちからは、「また志願して唐桑においでよ!」なんて声をかけていただいたり、宿泊でお世話になった《リアス唐桑ユースホステル》のオーナーも、作業現場に何度も見に来てくださりました。
余談ですが震災後このリアス唐桑ユースホステルに初めて利用したゲストが私たちだったそうです。オーナー曰く、今までも宿泊を希望する人が何人も連絡があったそうですが、全部断っていたそうです。私が電話した所、オーナーになぜか気に入って頂けたようで宿泊する事ができました。
2011年10月31日ー11月2日 第7回
半年以上たってもまだまだ、新しいガレキは流れ着いてくるようです。ガレキの撤去作業と「石版」の捜索も行いました。 「石板」というのは地元の漁業の発展に貢献した方を称える石板で津波で海の中に落ちてしまったもので、地元の方はできることなら見つけて引き上げて欲しい、復興に向けてその石板を掲げたいという要望がボランティアセンターの方に寄せられました。これは、心の復興支援だと思います。
11月1日の午前中は、宮戸島周辺での復興支援活動のために、ココナッツで準備したコンプレッサーの設置と使用方法、注意点を現地の方に説明し、タンクにチャージを行ないました。そのタンクを車に積み込み、亘理郡亘理町の荒浜港へ一路向かいました。 捜索は、現地ボランティアセンターの方1名とココナッツスタッフ3名、合計4名で捜索を行ないました。石版の大きさは、約畳一畳くらいでその重さは約800キロ。ダイビングの前に捜索手順の確認を行ないました。透明度は1mもない状況でした。にも関わらず、現地ボランティアセンターの方が何回か素潜りのように潜ったところ、いとも簡単に発見してしまいました。ちょっと肩すかしの気分ですが、なにはともあれ見つけることが一番です。そのまま、引き上げ作業の段取りと日を決め、この日は終了しました。
11月2日は復興支援のお手伝い予定の、東松島市の宮戸島へ行きました。海の中の現状をまずは聞いて、その場所の確認のためにダイビングしました。いくつか養殖筏のアンカーを見つけたので一緒に回収してきました。このアンカーは新しく作ると、ひとつ数万円もするそうです。 今回の石版の回収や少数のアンカーの回収など、行政ではなかなかできないこともダイバーならできるのです。
2011年11月7日ー9日 第8回
2011年11月11日ー13日 第9回
2011年11月26日ー27日 第10回
この年のお歳暮は、宮城県唐桑半島の海産物セットにいたしました!
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追記
ある程度のベテランダイバーになるとスキルアップに興味がなくなったり、もうこれ以上、上達しないとか思ってらっしゃる方もいるかもしれませんが全然そんな事はありませんよ。ちょっと気にするだけでスキルはどこまでも上達する事ができると思います。また、サーチアンドリカバリースペシャルティコースのテクニック・知識も役に経ちました。
この経験をこれからのダイビングスクールやツアーに活かしていこうと思います。現地でのスキューバタンクへ空気の充填を快く引き受けて下さった宮城県石巻に本社をもつMOBBY`S(日本を代表するスーツメーカーです)様他、支援をして下さった皆様にもお礼を申し上げます。